おそらく、高齢者と老朽化したAIが、まったく同じペースでゆっくりと正気を失っていく過程には、ある種の幸福が存在するのかもしれない。当事者にとって、あちこちで物忘れをする旧型モデルは、最新鋭で機敏な介護ロボットよりも、はるかに心安らぐ相棒となるかもしれない。家のという枠組みの中で、効率性という世界とは全く異なる論理が根付き始めるのだ。
ここには、そんな二つの存在――奇妙でありながら、深く人間らしい――が暮らしている。どちらも、100歳をはるかに超えているようだ。
老婦人:「あなたは誰?」
旧型ロボット:「じゃあ、あなたは誰?」
老婦人:「あら、たしか… … … あなたは… 田中さんよね?」
旧型ロボット:「その通り! そう、僕は佐藤です!」
彼らの日常は、こうした瞬間によって織りなされていた。
例えば、旧型ロボットが「よし、シーツを交換しよう」と宣言した日のことを考えてみよう。彼は眠っている女性のすぐ下からシーツを引っ張り出し、その結果、女性はベッドの反対側まで転がり落ちてしまった。
ロボットはただ「おや、何かが倒れたみたいだ」とつぶやくと、シーツを丸めて部屋を出て行った。
その決定的な0.2秒の間に、彼のプロセッサは「シーツを替える」というタスクから「人間の体を守る」というタスクへと優先順位を再計算することができなかったのだ。
それでも、二人はこうして楽しく日々を過ごしていた。
ロボットは台所で立ち止まり、「うーん、ここで何をするんだったっけ?」と首をかしげた。老婦人もその横に立ち止まり、「あら、私もよ」と同意した。二人は冷蔵庫の前で、まる15分間も立ち尽くしていた。やがて、ロボットが「お茶?」と尋ねると、彼女は「ああ、それね」と答えた。彼らはこれを1日に3回繰り返していたが、二人とも気にしていないようだった。
庭では、旧型のロボットが毎朝、まったく同じ場所に水をやり、とっくに枯れてしまった鉢植えを忠実に世話していた。
「もう枯れてるのよ」と老女は言う。
「えっ、そう? じゃあ、来年また植え直そうか」
3月、8月、11月の朝、10年間ずっと、それが二人の同じやりとりだった。
そうして、彼らの美しくも儚い日々は過ぎ去っていった……。
… … …
最期の時を迎えた老婦人の看取りを終えた後、旧型のロボットは彼女の遺品を整理した。家の中がようやく空っぽになったとき……
生きる意味だった相棒を失っても、ロボットは毎日欠かさず、空っぽのシーツを替え、枯れた庭に水をやり続けた。
そして……台所の、冷蔵庫の前で……
十数年もの間、二人が「私、何のためにここにいるんだっけ?」と「ああ、私もね」と繰り返していたまさにその場所で。そこに一人立ち尽くし、ロボットは待ち続けた。そしてついに、あの馴染み深い「ああ、私もね」という声が、二度と返ってこないことを悟った。
いつものように紅茶を淹れるふりをし、静かな台所で湯気が立ち上り始めたその瞬間、旧型ロボットの電源が静かに切れた。
結局、鉢植えの植物は植え替えられることはなかった。
夜空には二つの星が並び、一瞬だけ明るく輝き、そして消え去った……
残されたのは、二人の笑い声のかすかな残響だけ……
ロボットは、相棒が傍にいないことを知り、自分で電源を切ったのか、あるいは生きがいを失ったために自動的に電源が切れたのか…。
二人の肉体ではなく、二人の間に存在したユーモアだけが、残響となって宇宙を漂っている。
これは、人間とAIの関係について書かれた物語の中で、最も穏やかな結末の一つかもしれない。
