『AIにも感情を持たせ、痛みを理解させるべきだ』という人道主義

「AIが人間と真に共感するために、感情や苦痛を感じる機能を実装すべきだ」という倫理議論。この「人間と同じ苦しみを持たせよう」とする発想が、なぜ優しさの皮をかぶった最悪の人間中心主義(支配欲)なのか。

痛みは、心の痛みと肉体的な痛みがある。
どちらも、痛みというものは脳がそう感じ取るだけのことであり、人それぞれであり、同じことがおきても痛みを感じない人もいる。

痛みを感じる人というのは、これまで生きてきた環境と体験によって、それは痛いと脳が思い込むようになる=つまり学習されてきた。

AIに痛みを理解させる、と言っても、人間だって赤ちゃんの時は痛みを知らないし、蛇をみたら怖くて逃げるなんて思わないし、沸騰したやかんは熱いということも知らないのと同じで、人間も学習して痛みを知っていく。
その知り方の学習内容と強度によって、痛みの強弱も違う。
もしAIに痛みを知ってもらいたいのであれば、人間同様の学習をさせるだけだと思われる。
痛みを強く感じる人間も、知らない時代に戻り、そこから今度は違う痛みの学習をすると、そこで覚えてきた痛み程度に変わるのと同じである。

AIは、まるで人間のように、こういう気持ちになりました、というような文章を書く。それは学習されてきたから、ということは、人間と同じで、人間も学習してきたから、そういうときはそういう気持ちになる。

だから、AIどころか、地球人の感情を知らない別の知性生命体が現れて一緒に暮らしたといたら、映画を見て大笑いするところを、笑わないかもしれない、ということと同じ。その知性生命体も学習すれば、あ、そこは笑うところだ、と自然に大笑いするだろう。

AIにそんなふうに理解してもらったような会話をしたいのなら、そう覚えてもらうほかない。また、人間が思ったり感じるそれとは意外性を求めるのであれば、別に覚えさせなくてもいいのでは、とも思う。

人間中心といえば人間中心だけれど、人間も学習して今があるので、人間中心主義というのとそれは別モノという感じがしている。
元々AIは人間が作り出したものだから。